もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【事実を挙げる力、根拠を述べる力】

試験を採点していて、

理科の授業での探究する力をつけるための取り組みについて感じることがあった。


探究する力で最も重視すべきは、
問いを持つ力
である。

この問いを立てる能力を養うことによって、
問題をより効果的に解決したり、自分をより成長させたりすることが可能になる。

そしてこの問いを立てる練習として、
進路多様校の本校でまず実施しているのは、
「事実を挙げる」
という練習だ。

この事実があって初めて問いが立つのだが、
この事実を挙げる練習は、普段の実験や観察の中に組み込むことが比較的容易で、
身に付いている生徒も多い。(定期試験で事実を挙げる問題をつくった。)

さらにその問題に付け加えたのが、
問いを立てる、と、その問いに対して自分なりの予想(仮説)を根拠をもとにして立てる
というものだった。

課題が残ったのは、
根拠をもとにする
という点。
ここはこれからさらに練習が必要なところだ。

もう一つ採点をしていて気になったことが、
「事実のレベル」
についてである。

まず、この事実には判断がは加わりやすい。
細胞の写真のみを貼り、この細胞から読み取れる事実を挙げよ、という問題を出したとき、
『これはタマネギの細胞である』
というのは、あくまで判断である。
このときタマネギであると判断した要素こそが、ここで挙げるべき事実である。

そして、さらに採点の正誤判断を難しくさせたのは、
「知識」の存在である。

『この細胞には核が存在している』
という解答は、一見核というのを勝手に判断しているようだが、
核のように定義がしっかりしているものは、事実の中に入れることができる。
『丸いモノがある』という解答も同じで、
あくまで丸という言葉の定義があるから成り立っている。

この辺りを教員が押さえておくことは、
今後「明示的な指導」を推し進める中では重要になってくるだろう。