もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【目的思考の柱になるもの】

ちょっと今日から、

日々学んだこと、実践して感じたこと、実践の分析や評価と改善策についてを言語化するための「アウトプットの場」として、このブログを活用しようと思う。

 

 

いま、総合的な探究の時間を推し進めているその流れで、

学校の教育目標の捉え方を整理して明確にするために少しずつ働きかけている。

理由は、「せっかく計画した総合的な探究の時間を形骸化させたくないから」だ。

そのためには、自分がいなくなっても、目標に向かってこの時間をデザインし続けられる職員集団にならなければならない。

自分自身はまだまだそんな偉そうにいえるほどすごくないし、事実たくさんの人の協力があってやっと総合的な探究の時間は回っている。

それでも、職員の中に、目標からデザインするという文化が形成されることの重要性はわかっている。

 

それに、もっと言うと、

総合的な探究の時間の計画・立案は、そのための第一歩でしかない。

 

自分一人では生徒一人ひとりが自己肯定感を高めたり、生きていくために必要な考える力や他者と関わる力を育むことができない。

そう感じてから、常に自分の関心は、

職員が共通の認識をもって(共通の目標に向かって)教育活動を進めていくことで、目標を達成していく(目指す生徒像を実現していく)

という学校をつくることにあった。

 

そのための(カリキュラム・マネジメントの)核になるのはやはり

総合的な探究の時間だから、計画・立案に力を注いできた。

 

そして、カリキュラム・マネジメントを推進していくためには、

・育もうとしているものがどういうものなのかを明確に定義づけること

・そのための方策を具体的に挙げること

が先ず以て重要だと感じている。

 

いまはそのことに手をつけている。

 

 

そこで、参考にしたくて読んだ『学校の「当たり前」をやめた。』で、

工藤勇一校長は、目的思考の重要性を説いている。

 

そしてこの目的思考を支えているのは、

・圧倒的な多様性の承認

・目の前の課題から、対話によって解決を図る

・自分事にして自律する組織にする

という考え方だと感じた。

 

これらがあって目的思考で組織が動かされる。

 

育てたい自己肯定感やコミュニケーションについての理解を深めつつ、

目の前の課題を対話によって解決する流れの中に、

目標への意識が生まれてくる。

 

校長に是非とも提案したい。

 

 

追伸

世の中にはたくさんの人がいるけれども、魅力的に感じるのはいつも

多様性を受け入れ、大切にしようとしている人。

工藤勇一校長もその一人。

最近明治維新の動画をずっと観ているが、

坂本龍馬もその一人だったのかなって思う。

どんな時代だろうと、実現させたい世界っていうのが似ている人はいて、

そのビジョンは今でもこうして受け継がれているんだって思うと

とてもロマンがあるし、

使命感すら感じてしまう。

つい昨日、zoomで歴史を話し合うという会に参加させてもらった。

参加しているのは大人だけでなく、不登校になってフリースクールに通っている

子どももいた。

そんなこどもの言動から、坂本龍馬や工藤勇一校長と同じ在り方を感じた。

大きなことを言わずに、

ただ自分の周囲から、そんな世界を実現させようとしている。

少し振り返って自分を反省した。