もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【失敗、改善。その先。】

授業は生き物だ、とはよく言ったもので、

クラスでの活動は、一定の傾向性はあっても毎回変わる。

そして、完璧だな~と思う状態には決してならない。

 

なんたって、授業もクラスも、

人で、人がつくっているものだから。

もはや人そのものだ。

 

ただ、ベストを目指して(ベターにするために)

授業を改善しようと試みていく。

 

この主語は、生徒であり、教師でもある。

 

いま、日々の授業のなかで

集団として成長させるようにさまざまな失敗を続けながら、

授業を改善しようとしている。

教師はよい点や課題を見つけて共有し、

生徒に改善するよう求める。

ここでは教師はリーダーシップを発揮して、

“なぜ”それを求めるのかを伝え、行動を可視化しながら

集団を動かしていく。

 

こんな感じで授業を改善しようと試みてはいるが、

なかなか「よく」なるような気はしない。

 

週に2時間しかないことや、そもそも個々の成長は長期的に見るべきものである

という言い訳をしないで生徒集団と向き合っていると、

振り返りの質が上がっていたり、前向きに取り組むようになっていたりという

小さな変化に気がつく。

 

ただ、自分には「この先」が見えない。

 

今は、クラスの状況によっては

教師が梯子掛けとして介入して、こうやって解決していったらいい

という模範的な行動をしたりする。

 

一方で、どこかのタイミングで生徒へと手放し

生徒たちで解決してみる、という場へと移行していかなければならない。

 

いつまでも「先生」はいない。

 

このタイミングがいつなのか、どの程度の距離感が適正か、

自分は感覚としてすらつかめていないので、

今は小さくPDCAサイクルを回して、改善していくしかない。

 

生徒は実験台ではないが、

人間が答えのない課題を解決していくには、

高速で試行錯誤を繰り返していくしかないことを

先輩として示していこうと思う。