もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【授業で資質・能力を育むということ。】

同僚の研究授業を見学した。

 

次期学習指導要領を意識して、

資質・能力の3つの柱をいかに育むか、ということを

国語の授業として研究している。

 

教科についてすごく勉強されていて、

最終的に見に付けさせたい力を明確にしながら

単元の授業を構成しているところはとても勉強になった。

 

生徒への働きかけや授業の構成の仕方(生徒の発言によって授業を展開している)など、

勉強になることが多かった。

 

改善策として、

大きな目標(最終的に見に付けさせたい力)に向かうための

小さな目標(その時間に何を理解して、何ができるようになることを目指すのか)

ということを明確にすることを提案した。

 

そして、少し残念に感じたことは、

生徒の状態を観察して、生徒の状態ありきで授業の展開や研究協議が成されなかったことだ。

 

確かに構成は素晴らしい。

例えると、“線路”はきれいにひかれている。

ただ、その線路の上を生徒が走ることはなく、

教師がそれを引っ張り続けていた。

 

これでは生徒はいつまでたっても走れるようにはならない。

脳科学的にもわかってきていることのようだが、

実際にできるようになるために「取り組んで」いくことで初めて

自分の身になる。

 

いわゆる「演習」や「練習」をさせる機会が、

授業は圧倒的に少ない。

 

そして、なぜか授業になると教師は

そのことを忘れてしまったかのような指導をする。

授業も部活動も本質的には同じことなはずなのに。

 

これでは、生徒の持っている資質・能力が伸びていくことはない。

 

だからこそ大切なのが

主体的・対話的で深い学び(いわゆるアクティブ・ラーニング)の視点での

授業改善というやつだろう。

学びを振り返り次に生かしたり、自己の学びを調整する力を育む、ことだろう。

 

でも、文科省の文言ではやはり伝わりにくい。

もうほんとに、

生徒が試行錯誤する練習の場を、これまでと比べて圧倒的に増やしていく。

これ以上でもこれ以下でもない。

そうして教師の前で失敗させ、そして成功させる、これを繰り返すことだ。

 

 

今回の研究授業には、中学校の先生も参加していて、

すごい先生であることは確かだが、

この視点の優先度がまだ低い。

まあ中学では生徒は、積極的に聞いている(ように見える)のかもしれないが

もっと効果的な時間にすべきだ。

 

意識の高い先生でもこの程度だと

まだまだ道のりは長いように感じた。

 

 

まあ、まだやるべきことがたくさん残っていることは

嬉しいことだなあ。