【人の道を語る?】
教師が語るということ。
それは人の道を教えるということ。
ただ、これってやっぱり、
少し“大げさな”ことなのかもしれない。
これまで、
「人として、認め合ったり助け合ったりする生き方」
のよさとその必要性を伝えようとしてきて、
さまざまに言い換えてきたけれども、
昨日と今日の授業での語りが一番生徒に刺さった気がする。
この二時間での生徒の動きの変化の起こり方は、
これまでにないくらい生き生きとしたものだった。
昨日の授業の様子では、生徒はどこか他人事で
一人も見捨てない、とか、誰かを助ける、とかいうことにまで
私たちに求めないでよとでも言いたいような、けれども
少し自信がないけれど誰かを助けたほうがいいという姿勢も垣間見られる、
なんとも微妙な、歯がゆい状態であった。
見かねた私は、
「誰ともつながれない、やりきれない、助けを求められない、という人は、
このままいってしまったら社会に出てそのままになってしまう。
そして、そのような状態がこのクラスにあるとするのなら、
君たちが大人になって何かできないことがあったり困ったりしたときに
助けをもらえない状況をつくりかねない。先生はそれがすごく嫌だ。
その力を練習できるのは、いましかない。」
と語りました。
ここには、これまで関わってきた生徒だからこその、“思い”が乗っかっていた。
そして、だからこそ
結果にとことんこだわって、小テストで満点を取ること
を強く求めた。
すると、生徒達の様子が明らかに変わった。
「ああ、もうやるしかないんだなぁ」
と言わんばかりに、
小さな行動の変化を見せた。
「人として、やっぱりこうすべきだ。」
これが、人の道を、もっと言うと自分の道として
語るということなのだと感じた。