もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【『学び合い』に大切なこと、情熱をもって生きるために大切なこと】

『学び合い』の考え方で授業をするとき、最も大切なこと。

このことが感覚として最近つかめてきたので、言語化してみたい。

 

ただ、それ以前に

・生徒集団に責任を移行すること

・明確な目標を提示すること

・課題の難易度

などが必要条件としてあることを、

困難校と呼ばれる学校で実践するなかで失敗から学んできた。

 

しかしこれら条件と並ぶ必要条件として、そしてその中でもおそらく最上位のものとして大切なものが、

『授業者のエゴ』

である。

 

この表現の仕方はおそらく人それぞれだと思う。

 

話しは変わるが、最近

プロフェッショナル仕事の流儀「高木琢也」の回を観た。

 

この人の今の生き方を通して二つのことを感じた。

 

一つが、この人がこれだけ熱をもって生きているのは、この人の中に

『エゴ』=自分が大切だと思うことを実現させて幸せを生もうとしていること

があるからである。

そしてこの人はきっと、それを無意識にもっている。

自分のモチベーションを保つために、この『エゴ』を常に意識することができれば、

それがいつも拠り所になる。

 

そして二つ目が、

教育は個人、または組織のエゴを刷り込むことによって

他者を幸せにしようとする試みである、ということ。

 

そしてこの二つで面白いところは、

教育者は、必然的にエゴを持っている必要がある、ということ。

 

『学び合い』の授業で教員が語るのは、

あくまでエゴであって、

人の道として、こうやって生きるといいよ!ということを

あくまでエゴとして伝えているのである。

そしてそれを実践できる場を用意し、

そのエゴを理解できる人によって集団が成長し、

教員のエゴの世界が実現する。

 

だから、

『学び合い』にとって

自分が情熱をもって生きるために

最も大切なのは、この『エゴ』を明確にしておくことだろうと感じている。

 

自分にとっての『エゴ』=幸せのために自分が大切だと思うこと は、

 

自分の頭で考えて判断し、自分の人生を生きること

他人とともに生きることの価値を自覚しながら自分の努力でできることを増やすこと

 

だと思っている。

 

これを拠り所とし、

こうやって生きろよ!幸せになるから!

と思いっきり伝えていきたい。

これにより多くの人が“洗脳”されると、世界はもっと面白く、平和になると思うから、

一人でも多くの人に、そしてより多くの人たちが“洗脳”されるように動き回ろうと思う。

 

そしてここには前提として

多様性という価値観が潜んでいるために

とても抽象的な表現で言語化している。

これは本当に重要なことで、この拠り所が具体、つまり方法論になってしまうと

生きづらい人を生んでしまう。

 

ただ、これを実現させるために重要なポイントのようなものを、

もう少し具体的にもっている必要がある。

自己肯定感などがそれである。そしてこれらはより明確にされるべきである。

この辺りもまた言語化したいな。

 

 

 

追伸

高木琢也はやっぱりかっこいいと思う。

無意識な部分もあるかもしれないが、その熱は多くの人につながっている。

そして、西川純はやっぱり教祖さまだなと思った。

自分の『エゴ』を実証的な根拠をもって実現させようとしている。

だから“洗脳”される人たちが続出している。

自分もその一人だろう。

だからこそ、この

圧倒的に多様性を認める世界を実現させたい。

そのためには“洗脳”が必要だよなあ、

そうだろう、教祖さま。

 

(西川純に、愛をもって)