もし一介の若手教師が『教育』について追究し始めたら

関心のある事 ①生き方,夢について ②探究のプロセスを重視した授業と資質・能力について ③『学び合い』について ④総合的な「探究」の時間について (神奈川県立高校の理科教師 3年目。)

【生き方,夢について(自分自身)】

「授業の空きコマは生徒対応になる、ということについて」

 

現任校は、生徒対応の時間がかなり多い学校だと思う。
問題行動による生徒指導の、特別指導として1対1で話す時間が多いというのもあるが、
今年度は、クラスの生徒の対応がかなり多い。

 

クラスには、私生活で何らかの問題を抱えている人が多数いる。
保護者からの愛が不足している、とまとめてしまえば簡単だが、原因はもっと複雑だったりする。

 

そのため、授業中に耐えきれなくなって教室から出てきてしまい、「帰りたい」と言ってくる。(原因は家庭での問題や友人との人間関係によるものなどさまざま。)

そしてこれが授業の空きコマにある。担任として話を聴きながら共感する。

これしかできないが、多くの生徒は教室に戻る勇気を持ってくれたりもする。

どうしようもできない場合は希望通り家に帰すことの許可を出すこともある。その際は出席日数などのシビアな問題も、状況によっては伝える。

 

最初のころ(今年度の始めのころ)は、正直この状況には参っていた。

分掌や学年の仕事をする時間、授業の準備や自分の勉強の時間も大切にしたいと考えているからだ。

時には話を聴いてあげることをせずに、早退の許可を出してしまったり、その他の仕事を優先したりしていた。
今振り返ると、この時はこれが限界だと感じていたから仕方がないとは思っている。

 

ただ今は、生徒の感情に共感をして感情を整理する手助けをしたり、これからの手立てを考えるのを手助けしたり、背中を押してあげたりする機会が多い時期だ、と捉えるようにしている。

 

このような機会が多かったからか、多少なりとも共感的に傾聴する力はついていると感じるし、それを生かして生徒のためにすることができる機会があると考えると、幸せだと感じることもできる。

 

今、自分にできることを増やしていくことで、現在では見えていないことが見え、さらに自分がやりたいと思うことが実現できるようになる。
ただ、今自分にできることを生かすことで、自分がやりたいと思うことの一部を実現することができる。(だから自分にできることを増やすことを大切だと感じることもできる。)

 

そう考えると、今自分にできることは生徒に共感的に傾聴をすることなので、この時間は元からあるものだと考える。

そして少しでも生徒のためになる対応ができるように経験を積んでいこうと思う。
そのためにできない仕事や、質の落ちる仕事があるのは致し方ない。その仕事が必要だと思ったときには、その優先度を高めてやればいい。

 

自分の時間には限界があること。
自分にとっての幸せと価値があると感じていること。
この二つから考えればすべてのことはかなりシンプルになると思う。
その時、自分の努力によって時間をつくり出すことも忘れてはならない。